STORY

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工房・宝島染工KOBO TAKARAJIMA SENKO

“豊かな自然に似合う服”をつくる、
天然染めの工房・宝島染工。

デザイナー・山井梨沙がYAMAIでつくる“豊かな自然に似合う服”。
それは自然の恵みと、幾人ものひとの手によって紡がれる。

かつてのひとびとは、なぜ身に纏う布を"染めた"のか。
福岡県三潴郡の天然染めの名工・宝島染工。

“豊かな自然に似合う服”は、ここで染め上げられる。

天然染めの手法。
墨染め、泥染め、泥藍染め。

宝島染工は、天然染料のみを使った昔ながらの手染めと中量生産のものづくりに重きを置いている染色工場です。YAMAIの今回のライン(2020SS)の生地には、それぞれ墨染め、泥染め、泥藍染めで加工を施しています。

墨染めは、墨汁を使って染めるんですけど、墨汁の主原料って、煤(すす)なんですよ。煤に、にかわや豚の脂を練ったものが墨汁になります。そういったもので染めることで、黄色みがなくて顔彩のような、ムラっぽいグレーを表現しました。

泥染めは奄美大島が日本で一番有名なのですが、うちの泥染めは、その奄美大島の方法をベースとして、タンニン分が強い東南アジア原産の植物と、地元福岡の鉄分を多く含んだ泥を合わせて染めています。濃い色になればなるほど、透明感のある色が出るという草木の特徴を生かしつつ、モヤッとしたムラ感とか、すっきりしない表情があって、化学染料との違いがより分かりやすいと思います。

そして、泥染めに藍染めを重ねたのが、泥藍染めです。本来、天然染めでは黒という色はないんです。それをどうやって作るかというところで、泥染めに藍染めを染め重ねることで生まれる青みが強い黒をご提案させていただきました。あたり感や天然染料ならではの味がある黒です。しかも経年変化する黒。色褪せることで、どんどんナスっぽい青みのある色に転じていきます。化学染料の黒とはまったく違う味わいのものに仕上がっていますね。

PROFILE

大籠 千春
CHIHARU OHGOMORI

1971年1月30日福岡県三潴郡出身。幼い頃から絵を嗜む。高校卒業後、その創造力を活かすべく短大にて染色を学ぶ。短大卒業後は、本藍を扱う天然染めの工房に就職。バブル崩壊後、「痩せていく国内の衣料関係の工場や減っていく専門職の人たち」という状況を目の当たりにする。その現状を「どう変えていくか」という自問から、「藍でやっていく」ことを決意。2001年、地元の福岡県三潴郡に戻り、天然染料100%を使用し伝統技術で染色をする工房・宝島染工を始める。

藍染めの甕(かめ)。インディゴを筆頭に藍色は世界的に認知度が高く、永らく人類に愛されてきた染め色と言える。

それぞれ、質の異なる
天然染料と化学染料。

化学染料で染めた黒も色褪せてきますよね。あたり感が多少出たりとか、日焼けっぽく焼けて色が落ちてきたり。買った時と同じように3年後も着ているかというと、そこは違います。それは天然染料もまったく一緒。だけど、天然染料の経年変化にはそれでしか表現できない味があります。変化の方向というか、落ち方が違うんです。焼けの方向もきれいな感じですね。ただ、化学染料が日焼けしたものが「疲れた感じがして嫌だ」と言う人もいるけど、逆に「それがビンテージっぽくて好きだ」と解釈する人もいる。どっちが良い悪いではなくて、それはそれで一つの味、そういう一つのカテゴリーなんだと思っています。

もともとの歴史をさかのぼると、戦前の工業化が進む前は、ほとんど天然染料しかなかった時代。それから色素を化学的に抽出・成形できるようになって、化学染料が生まれて、より安定生産ができるようになりました。便利になった一方で、特殊な薬品や再生できない繊維を使っていたりするから、最近は「ケミカル(化学染料)は悪い」という人もいます。ある程度文化が普及したら「廃棄できないものは環境的にどうなのか」という論争が出るようになったんですよね。でも良い悪いの話は別として、染料のことだけでいえば、私は化学染料は全く悪いと思いません。化学染料は染着、染色しやすくて、芯までしっかり染められます。化学染料は天然染料とは、全く違う質のもの。例えば、ガラスとクリスタルのグラスがあったとしたら、どちらも同じ透明のグラスであることは一緒なんだけど、素材が違いますよね。なので、どちらが良いか悪いかは言いようがないと思いますね。

天然染料ならではの
味、風合い。

化学染料に比べて天然染料の方が不純物が多いというのは明確です。不純物が色にどう作用するかが染める際の不安要素だともいえるし、その不安要素から生まれる美しさもあります。色の透明感とか雰囲気が出やすいのは、圧倒的に草木染めなどの天然染料ですね。

藍染めは世界的に認知度も高くて、安定的に生産できて、しかもはるか古代から愛され続けている色です。それを模して化学染料で作ろうとしても、同じ色合いが出せるかというと、やっぱりちょっと違うんですよね。藍染めは地味なようで派手な色というか、クリアな色。明度と彩度があるんだけど、複雑な色。相反するイメージが、一つになっている。そういうところで、やっぱり化学染料では出せないニュアンスが、天然染料の魅力だなと思います。

泥染めはカテキューという、タンニン分が多い草木の濃度一つで染めが左右されます。それと、いかにいい状態の前処理をしておくか。カテキューで下染めをしたあと、鉄分の高い泥と反応させることで茶褐色に染め上げます。泥は先ほど触れた通り、うちでは地元の福岡のものを使っていますが、どんな土地の泥でも鉄分が含まれていれば、染めることができます。なぜ泥を使うのかっていうと、結局は不純物です。バクテリアなど、泥に含まれるいろんな不純物がどう作用するかに意味があるんです。あとは回数を重ねることで色素を濃くしていきます。茶色の化学染料で染めたときって、ああいうガサっとした風合いって、出ないんですよ。それに準じて、着るほどにあたり感が出てくるので、化学染料とは全然違う表情ができあがっていきますね。

天然染料をもちいた手染めならではの味が大きな魅力となる。

染め→酸化(藍を空気中の酸素と結合させることで青色に発色させる)を繰り返し、色を重ねることで目指す藍色に染め上げていく。職人の惜しみない手間と時間、そして自然の力がうつくしい色を作り上げる。

命のリズムに合わせて移ろう色。
そして、商品を作るということ。

天然染料は、主原料である草木を採取する時期、採取するエリアで色が変わるのが当たり前の染料です。草木って、花が咲く前と咲いた後では、染め上がりの色が全然違うんですよ。花が咲くのは種子を残すため、子どもを残すためですよね。命の最後のお祭りみたいな、その目的を最大限にアピールしているのが花咲くとき。だから、酷なんだけど、花が咲く前が一番力があって、蓄えているものが違うから、その時期に採取した方がいいんです。花の咲いた後は、次の花咲くときに向けてゼロからのスタートなので、まったく変わります。色味だけじゃなくて、色気すらも。

欲しい色によって考え方と時期を見定めるというのは、草木は特にシビア。例えば、こうやってお仕事をご一緒させていただく以上、グレーの服はグレーの色で作りたいけれど、染料を採る時期が異なると、色合いが変わってしまいます。だからこそ、中量生産でやるときは、たくさん染料を確保してアベレージを取るようにしないと、すごく差が出てしまうんです。店頭に並ぶ「商品」を作る以上、アベレージを取らないとお客様も理解に苦しむようなものしか上がらなくなっちゃう。草木染めといえども「グレーと思っていたのに、できあがったらベージュだった」みたいなことにならないように、同じエリアで同じ年のもので揃えて、量を確保する。そこからが染めのスタートです。

今回の泥染めのベースとなっているカテキューは、東南アジアのスマトラ、ボルネオで採れる、一般流通しやすくてタンニン分が強い草木です。草木はエリアを決めて輸入してもらって、ある程度まとまった量を確保しています。藍もそうですけど、常に発注していないと原産国の作り手さんが生産を止めてしまわれたり、在庫が無くなってしまったり。ちょっと目を離してしまうと、そういうこともあって。作り手さんにきちんとお金が落ちる取り組みを、お仕事としてされている企業に間に入ってもらって、なんとか生産をキープしていただいています。

工房の外観。場所は福岡県三潴郡。宝島染工の天然染めに憧れた全国の若者が門を叩く。

天然染めの中量生産に
こだわる理由。

基本的に草木染めって、藍は特にそうなんですけど、芯まで染まらないんです。中白(なかじろ)っていって、中の芯が残るような染まり方なんですよ。どんどん表についていく色素であるから、色の落ち方が顔料っぽいというか。見え方と上がりの印象だけでいうと、染料と顔料の“あいのこ”みたいな感じだと思います。顔料はどうしても彩度がない、染料は、彩度はあるけど、すごくすっきりしている。化学染料でガンガンやって彩度を求めることも、できるのはできるんですけど、天然染料でやるということ自体がおもしろいし、強いやり方というか。自分が立ち上げということもあって、新しく何か作っていくうえで、化学染料に興味を示せなくて、意味も見出せなかったんですね。だったらもっと違うコンテンツが出せるんじゃないかとか、「(他の人が)出せないことを自分がやるべきであろう」と。結局、人がやれないところを求めていかないと、新しく染工店という工場を作るにあたってあまり意味がない。なので、だったら天然染料だけでやる、と。自分がやってきた道をそのまま、ニッチなところを掘り下げることに立ち返ってやろうという思いでした。

でも、天然染めは、どうしても色がブレてしまうんですよね。化学染料のようにズバリはやれない。それでも茶色は茶色で、グレーはグレーでと収めていく。それは、ある程度の量をちゃんと生産していくところに重きを置いてやっているからです。もちろん「作品」が嫌だということではないんですけど、ある程度を量産すること、大量でなくても中量でやっていくことに意味があるので、そこに重きを置いて「商品」として作っていくというところに立ち位置を定めています。

手染めの服が「作品」的な立ち位置になると、単価も上がって、着る人が選ばれて、着られるエリアもシーンも選ばれちゃう…もう「残らなくてもいいもの」みたいな。そうまでいわなくても、文化財的な存在になってしまうと、需要がなければ生産を止めざるをえない原産地の問題と近いことになってくるので、商売としては難しいところにしかいられないんだろうなと感じるんです。だから、できるだけ商売として手染めのものを残したいし、それができる工場として私たちが自立できたら、おもしろいんじゃないかなと。ちゃんと商品として流通できて、再オーダーも受けられて、季節発注もできて、ある程度アパレルメーカーの流れに対応できれば、お客様が手に取れるどこかしらの場所にいられると思うんですよ。もちろん、手染めでやるとすごく安くはできないけど、安く作るっていうよりは、「こういうものが欲しい」とメーカーやお客様が思ったときに、ここにあることが大事なのかなと。それは値段を軽んじているわけではなくて、ちゃんと金額をいただきつつ「藍染めのシャツが欲しい」とか「天然染料で作った服ってどんなものかな」と思った時に、検索すれば出てくるぐらいの身近な場所に私たちがいたいなと思うんです。

自然の力で染めること、
着ることの意味。

同じ草木でも染める生地によっても、風合いがだいぶ変わりますね。ガーゼみたいに柔らかい素材だと、着心地も変わります。サラッとしていて、逆に涼しい。そういう“化けちゃう”染め方は、天然染めじゃないとできないかなと思います。染めているんじゃなくて、成分を添加させているみたいな。うちは、生の草木をとって、その都度色を染めるというやり方はできないですけど、古くからの、そういうやり方の人は、生命を吹き込むという意味合いでやってる方もいらっしゃるし、「そのときの命の色を染める」という方もいらっしゃるんです。嘘ではないなと思いますね。

アフリカや東南アジアには、大きい木の畝(うね)に溜まった水に生地を浸けて染めるといい色ができるっていう地区があります。それって、化学的な理屈をいえば、その畝に溜まった水にタンニンなどの木の成分が混ざって溜まっているから生地が染まる、ということなんですけど、染めることで木の命や力が入るから、これを着れば悪いものが入らないとか、纏うことで自分の身を守るという思いも込められているんです。昔は、祈りが装飾と繋がっていたんですよね。着ることで自分の身を守る。確かにな、と思うところはあります。身分の高い人は、より装飾性の高い服を着て、一般市民は藍とか常に採れる染料で染めやすい生地を着ていたんです。だから濃くて汚れても洗わなくてもいい色とか、染め替えしやすい色で、柄はなしとか。身分が高い人ほど、珍しい、すごく高い染料で染めて着ていたそうです。昔は薬なんかも飲まないから、着ることで自分や他人を災いから守ることが、染めるという行為の意味合いとしては大きかったんですよね。

服づくりの文化を
未来に残す。

ものづくりの場所が減ってきているのは自分の立場から見ても明らかではあるので、そういった服づくりの文化を、私たちが続けていくことで、ちょっとでも未来に残すことが自分の仕事かな、と思っています。手作業だけでやるでもいいし、機械が必要なら工場に行けばいいんですけど。こういう昔ながらの服づくりを欲する方がいれば、ここに来ればいつでもできる場所として、私たちが存在していたいですね。

宝島染工・ショールーム。